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第3回研究会 案内

第3回研究会 報告

 研究発表印象記

 □総会報告 

 

「石川淳研究会(第3回研究会)・印象記」原卓史

2005(平成17)年3月12日(土)、青山学院大学に於いて、〈石川淳研究会〉第3回研究会が行われた。「石川淳『森鴎外』を読み直す」という特集で、重松恵美氏、杉浦晋氏、山口俊雄氏、若松伸哉氏による発表があった。

 

重松恵美氏「石川淳〈史伝もの〉から〈夷斎もの〉へ」は、石川淳の和漢書所蔵本の目録を提示し、石川淳の儒学受容と作品の成立過程を考察するものであった。まず、石川淳は朱子学(北条霞亭、伊沢蘭軒など)、古文辞学、折衷学・考証学(渋江抽斎など)などに興味・関心を抱いていたと指摘した。とりわけ石川作品に儒学が反映されているのは〈夷斎もの〉であるが、〈史伝もの〉で儒学への関心を示した森鴎外と同様、石川淳も儒学への関心を共有していたのではないかという。石川が嗜好していたのは、儒学/反儒学、権力/反権力の両者が対立関係にあり、それは大正アナーキズムの発想から出てきたとした。

儒学を中心とした約250冊の石川淳蔵書目録は、石川淳の基礎研究を充実させるばかりでなく、今後の研究水準を高めていく上でも重要な資料である。石川淳がどの作品で蔵本に言及しているのかといった対照表も付いており、氏の労力には頭が下がる。ただ、氏自身も指摘していたように、具体的な論証を欠き指摘に終始していたため、要領を得ない箇所も多かった。『森鴎外』のどの部分に石川淳の蔵書が活かされているのか、大正アナーキズムの発想はどのような文献に基づき培ったものなのか、またそれが『森鴎外』のどこに反映されているのか、森鴎外の諸作品を石川はどの単行本もしくは雑誌で読んだのか、などなど…。一つ一つ疑問が解消されていくことを期待したい。

 

 杉浦晋氏「石川淳『森鴎外』」は、『森鴎外』に何が書いてあるのかを中心に検討していくというものであった。氏は「渋江抽斎」「伊沢蘭軒」「北条霞亭」の関係を、

 

作 →→→→→→ 抽斎 →→→→→ 蘭軒 

者 ←←←←←← 霞亭 ←←←←←←←← 象

 

と図示し、「渋江抽斎」「伊沢蘭軒」は作者から抜け出して対象に向っていく――鴎外は抽斎には愛情を示し、蘭軒には距離をとったという違いがある――が、「北条霞亭」は作者に内向していき、往還運動を読み取ることができるとした。氏によれば、石川淳が森鴎外を評価した点は、主観/客観、作者/対象(史料)など二極の図式の中で相矛盾する方向が混在しているところだという。かかる発想は小林秀雄「読書について」、「『ドストエフスキイの生活』序(歴史について)」「歴史の活眼」などと照応してみると重なっていることが指摘できるという。ただし、小林が「伝記」に向かい、石川が「作品史」に向かった点が異なっているとした。

 杉浦氏の発表を拝聴するたびに作品を抽象化する手際のよさに刺激を受ける。〈史伝もの〉の関係を往還運動として捉える解釈は、とても面白かった。だが、『森鴎外』を論じる際に、なぜ小林秀雄が参照されなければならないのか(小林でなければならないのか)、もう少し聞いてみたかった。というのも、挙げられていた資料を読む限り相同性があるためおおむね納得のいくものであったが、根拠として指摘のあった「客観的」「主観的」「活眼」など、辞書を引けば確認できる言葉も含まれており、論拠としての強度に疑問を感じたからである。また、石川が小林の影響を受けたと指摘されていたが、逆のベクトルは全く考えなくてもいいのかも気になった。

 

山口俊雄氏「戦中期の鴎外論と石川『森鴎外』」は、石川淳『森鴎外』研究で「戦時中の鴎外論の最大公約数」と指摘されてきたことの相対化を目指すものであった。氏によれば、『森鴎外』の論の進め方は、最初の「渋江抽斎」で結論を示した上で、あとはそこへ至るまでの鴎外の文学的閲歴を追うものだという。かかる執筆方法は、同時代の鴎外論の多くが西洋対東洋の枠組み――近代の超克――を持ち出して鴎外を読むことの意義を指摘するのに対して、時局に親和的な枠組みへ取り込まれることを回避するための予防線を張っていて独特のものだと考察した。

同時代の鴎外研究を参照しつつ石川淳『森鴎外』の位相を検討していく作業は、当該作品の研究を活性化させていく上で欠かせないものとして評価できる。同時代の鴎外研究が偏差を伴いつつも西洋の限界と日本(東洋)の可能性に言及しているとの指摘を興味深く拝聴した。だが、『森鴎外』(一九四一年)に「近代の超克」(一九四二年)を重ねて読むことは、歴史性を捨象してしまいかねない危うさを一方で感じた。言い換えれば、『森鴎外』発表時点で「近代の超克」座談会は行われておらず、当該作品を読む際の補助線として「近代の超克」を使うことは可能か、ということである。そしてもう一つ指摘したいのは、氏は鴎外研究を単行本に限定していたが、例えば『近代文学研究叢書』の「森鴎外」にあるように、同時代の雑誌にも相当数の鴎外研究が提出されていることである。これらの論考を参照した場合、どのような見取り図を描きうるのかも聞いてみたかった。

 

若松伸哉氏「〈歴史と文学〉のなかで――鴎外の史伝評価について」は、同時代の歴史小説言説の中に石川淳『森鴎外』を置いて、読み直しを図るものであった。氏は、石川淳『森鴎外』を高木卓、小林秀雄、岩上順一らの歴史小説論と比較し、高木ら三人が過去にあった〈歴史〉を前提にし、その〈歴史〉を現在どのように語るかという点で共通しているのに対して、石川淳が森鴎外の史伝に下した評価は、未知のものを切り開く努力をしたことと、時代の政治と切り離したことであったと考察した。そして、このモチーフは『渡辺崋山』に接続されている可能性を論じた。

 同時代の歴史小説言説を参照しつつ石川淳『森鴎外』の位相を検討していく作業は、山口氏の発表とは異なる角度から、やはり当該作品の研究を活性化させていく上で欠かせないものとして評価できる。また、個人的なことで恐縮だが、私も歴史小説を研究の対象としているため、教えられることが多かった。その一方でまず疑問を感じたことは、石川淳の歴史小説論が未知のものを切り開く努力をした点だとしたことだった。抽斎・蘭軒・霞亭のいずれも典拠があり必ずしも未知のものとはいえないからである。また、史伝と歴史小説のジャンルの違いが、高木らと石川の方法の違いに関わっているのか/関わっていないのかも聞いてみたかった。さらに、同時代言説の分析が所謂純文学に限られていたが、歴史学、大衆文学、講談、実録、浪曲なども射程に入れたとき、どのように石川淳『森鴎外』を位置づけられるのかも伺いたかった。

 各々の発表があった後、共同討議が行われ、@石川淳『森鴎外』に於いてはじめて「運動の精神」という言葉が出てきたこと、A「歴史」をめぐる小林秀雄との共通点・相違点、B石川淳が儒学者の祖父から受けた影響、など、様々な問題が議論の対象となった。@「精神の運動」がヴァレリーなどフランス象徴主義で使われている言葉であること、この言葉を小説理論として捉えることの困難さ、などが議論された。A杉浦氏が石川淳は小林秀雄の影響を受けているとしたのに対して、若松氏は石川が小林を批判しているとし、小林をめぐる評価軸の対立が見られた。この問題に就いて、若松氏から小林が伝統や日本回帰に向ったのに対して、石川はそのような問題からは自由であったという意見が出された。B石川の祖父が朱子学派の系統であり、石川が子供の頃に読まされたのは朱子学の文献であったことや、石川淳の祖父は和学講習所におり和学も勉強していたはずだが、石川は意図的にそのことを書き残していないこと、などが明らかにされた。一つの作品を多角的に検討し、多くの〈知〉を共有することができた。今回の発表が論集として結実することを期待している。

 

【付記】重松氏、杉浦氏のレジュメにはタイトルが付けられていなかったが、後日お伺いし本文に記したことをお断りしておく。

 

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総会報告

 ◇2005年9月に日本近代文学会東海支部と研究会を共催すること、テーマは石川淳と森鴎外とすることを目指し東海支部と交渉を進めることが決定。

 ◇懸案となっている会員リストの作成について意見交換が行なわれ、次回総会時に、運営委員会作成による試案を叩き台として議論を進めることが決定。(文責:山口)

 

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