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石川淳研究会とは

 

〈石川淳研究会〉第4回研究会のお知らせ

 第4回研究会を下記のとおり、日本近代文学会東海支部と共催で開催することになりました。

皆様のご出席・ご参加を期待します。

2005年8月3日 石川淳研究会運営委員会  木下啓・重松恵美・杉浦晋・山口俊雄・若松伸哉

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《シンポジウム「石川淳『森鴎外』をめぐって」》

2005年9月17日(土)14:00〜 愛知淑徳大学 星ケ丘キャンパス1号館3階13D教室にて

◆「名古屋」駅より地下鉄東山線「星が丘」駅まで約18分

 「星が丘」駅3番出口から正門まで徒歩約3分

  住所: 〒464-8671  愛知県名古屋市千種区桜が丘23

  電話: 052-781-1151(代表)

                 ⇒交通アクセス  ⇒キャンパス・マップ

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【パネリストと題目】
  山口徹「鴎外―石川淳―鴎外 批評と実践」
  若松伸哉「〈歴史と文学〉のなかで―石川淳『森鴎外』における史伝評価について」
  林正子「石川淳の鴎外翻訳文学論」

〈総合司会〉:永井聖剛
〈シンポ司会〉:酒井敏

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【発表要旨】
「鴎外
石川淳―鴎外 批評と実践」 山口徹
 「鴎外世界という微分方程式」、その数式を詳しく見ないうちに「『抽斎』と『霞亭』という二

つの答」を吐き出してしまったかのように始められた石川淳の鴎外評価は、奔放きわまる文体と

は裏腹、じつに緻密な全体像を築き上げているように思われる。鴎外史伝の高い評価はとりわけ、

『雁』に対し『青年』に書かれえなかった可能性を見出すこと、『即興詩人』に対し『諸国物語』

に鴎外訳業の批評性と影響力を認めることと関連させ論述されている。

 本報告では、『青年』『諸国物語』史伝を取り結ぶ経路を重視し、石川淳の鴎外評のエッセ

ンスを抽出することからはじめる。主要な目的としては、鴎外―石川淳―鴎外理解……というシ

ナプスを活性化させる伝達物質として通常より増強・拡張した「翻訳」概念を、ヴァルター・ベ

ンヤミンの著述を参照しながら用意することとしたい。また、この過程においては『森鴎外』の中

で識別・探求された文学上の課題が敗戦直後の石川淳作品においてどのように変異し出現してい
るかといったことについての簡単な分析も加える予定である。(青山学院女子短期大学非常勤講師)

「〈歴史と文学〉のなかで―石川淳『森鴎外』における史伝評価について」 若松伸哉
 『渋江抽斎』にはじまる森鴎外晩年のいわゆる〈史伝もの〉の研究史を繙く際、石川淳『森鴎外』

(一九四一・十二、三笠書房)はその起点の一つとして挙げられるようである。
 『森鴎外』は冒頭の「鴎外覚書」中の「渋江抽斎」のみが出版元の三笠書房の文芸雑誌『文庫』

一九四一年八月号に掲載されており、他の部分は単行本での書き下ろしとなっている。この冒頭部

分に特に強調されている鴎外の史伝評価が、『森鴎外』の大きな特徴であり、現在の研究においても

言及される最大の要因となっている。
 鴎外研究(評価)史のなかで、「石川は自らの文学論に密着」「独断に失する」(『国語国文学研究史

大成14 鴎外 漱石』)との言辞を受けつつも(だからこそか)、現在でも「実作者による体当りの鴎

外論」(同前)として読み継がれている石川淳の『森鴎外』を、本発表では特に有名な史伝評価の点

に着目し、当時の同時代言説を確認することによって、このテクストの同時代的な意味を探っていき

たい。その作業はとりもなおさず、テクスト中で展開される石川の小説理論の同時代的な側面をあぶ

りだすはずであり、また現在における『森鴎外』像の修正/再検討を迫るものにもなるはずである。

 石川は鴎外の史伝を「史伝でも物語でもなく」、「はるかに小説に近似したもの」(「鴎外覚書」)と

表現しており、〈歴史〉としてではなくあくまでも〈小説〉として評価する。この表現は例えば、同時

期の小林秀雄による「晩年の鴎外が考證家に堕したといふ様な説は取るに足らぬ。あの厖大な考證を

始めるに至つて、彼は恐らくやつと歴史の魂に推参したのである」(「無常といふ事」)とする評価と比

較した場合、〈歴史〉という観点に対して全く逆のベクトルを示している。この問題の背景には昭和十

年ごろから量産傾向にあった〈歴史小説〉、そしてその飽和点として昭和十五〜六ごろに文壇で顕在化

してきた〈歴史と文学〉の議論があったことを指摘できるだろう。
 〈歴史と文学〉問題については、先に言及した小林秀雄も大きく関わっており、石川自身も同時期

の評論でこの問題に言及している。今回の発表では、こうした文壇の動きと鴎外の関連、さらに石川

の〈歴史と文学〉問題に対する姿勢を視野に入れつつ、同時代の問題から具体的に『森鴎外』を検討

することをとりあえずの目的とする。またその際に、『森鴎外』に先行する石川淳の歴史小説『渡辺崋
山』(一九四一・三、三笠書房)も参照したい。(青山学院大学大学院博士課程)

「石川淳の鴎外翻訳文学論―〈批評〉としての翻訳の意義」 林正子
 明治中期以前の翻訳という仕事について、〈批評家の炯眼〉のみが果たせる任務ととらえ、〈批評

の一形式として現前〉したと考えていた石川淳は、『森鴎外』(昭和16年12月)において鴎外を

〈大神通の翻訳家〉と呼び、その鴎外の翻訳について〈現在の文学への批判〉であり、〈文学の将来

への予言〉であったと記している。具体的には、鴎外の『沙羅の木』(大正4年9月)序中の言葉を

引いて、鴎外の翻訳が詩と散文を問わず〈我儘な撰みかた〉になっていること、にもかかわらず、

その訳業は、『即興詩人』(明治25年11月〜34年2月)という例外を除いて〈好悪から離れて〉

成立していることをも論じている。鴎外の翻訳を〈理想的〉とする根拠として、石川淳は、この〈好

悪〉からの逸脱による原作者や訳者の影の稀薄を指摘するのである。
 石川淳『森鴎外』では、さらに鴎外の翻訳について次の二つの〈発明〉が論じられている。第一に、

『即興詩人』は〈もつとも広く読まれ、もつとも多く愛され、記誦され、伝播されたにも係らず、そ

れが日本文学の現場に及ぼした影響の度合いはきはめてよわくしかありえなかつた〉ということであ

り、第二に、その『即興詩人』と〈対立するやうな位置〉にあった『諸国物語』(大正4年1月)の

〈影響〉は、当時の読者に対して絶大であったということである。『諸国物語』とは、石川淳によれ

ば、〈精神を蹂躙した建築師〉による〈比類のない無精神の大事業〉であり、〈地上の真人間には思ひ

もつかない仕事を、悪魔がさつと成就したけしき〉であり、〈明治大正といふ時代に鴎外といふ大神通

の怪物の手に俟つてはじめて成る底の奇書〉であった。
 〈鴎外の訳業の値打は影響の中にある〉とみなす石川淳は、その典型として『諸国物語』の〈影響〉

の非凡を説くことを志向する。〈全体が文学の世界地図を作るようなぐあひに、各流各派の短篇の見本

が採集編成されてゐる〉『諸国物語』の〈影響〉とは、石川淳によれば、〈水の底へのごとく文学の場

から作者の心にまで沈んで行つて、そこに作者の位置を顛倒させるやうな新課題を台頭させるに至つ

た〉こと、〈めいめいの身に於て切実に、小説とはなにかといふことを改めて考へ出す〉ことになった

ことを意味する。とまれ、石川淳『森鴎外』における鴎外翻訳文学論の圧巻は、『諸国物語』以後、〈小

説とはなにかといふ考に革命がおこつた〉と喝破している点であろう。
 今回のシンポジウムの報告では、『渋江抽斎』(大正5年1月〜5月)・『北條霞亭』(大正6年10月

〜10年11月)が『諸国物語』収録の〈「正體」の主人公が自家発明の機械に於けるがごときものか

と、心寒く感じた〉という石川淳の記述を読み解くことで、その鴎外史伝評価の必然性を論じるととも

に、石川淳の鴎外翻訳文学論を視座として、鴎外訳業の意義を捉え直してみたい。(岐阜大学)

「司会者より」酒井敏                       
 石川淳研究会との合同シンポジウムを『森鴎外』(三笠書房 昭16・12)をテーマとして開催する。そ

の趣意を記そうとして、以前うかがった竹盛天雄先生の何気ない一言を思い出した。「鴎外が盛んに論じ

られるのは、今が悪い時代だということだよ。」
 郷ひろみが豊太郎を演じた映画「舞姫」(篠田正浩監督)が公開され、実在のエリーゼ・ヴィーゲルトの

候補者が絞り込まれた頃のことだったろう。あの頃ほど学会も一般も諸共にという印象ではないが、昨今

も周囲を見回すと、鴎外への言及が目立つ。「動く鴎外」を記録した映像や小堀家に蔵されていた資料をめ

ぐる報道。後者は『鴎外の遺産』全三巻となって幻戯書房から刊行中である。『国文学』二月号は「森鴎外

の問題系」と題した久々の鴎外特集を組み、『文学・語学』誌の時評でも鴎外研究の動向が大きく採り上げ

られた。
 確かに、今がいい時代だなどとは、とても思えない。「悪い時代」に鴎外が招喚されるのは、そんな時代

と戦う術を彼とその文学に学ぼうとするからであろう。今回の共催シンポジウムも、特定の作家に自閉した

意見交換に終わるのでなく、時代に開かれたアクチュアルな企画となるように努めたい。
 例えば作家的系譜の問題。『森鴎外』を媒ちに、石川淳と鴎外との系譜に思い至るのは容易だが、ここで

はより広く、荷風を介在させたり、丸谷才一から現代につなげたり、のように多くの個性と交響させること

が求められる。安部公房を持ち出して、文学的前衛の問題を射程に収めることも可能だろう。
 あたかも、『森鴎外』が執筆・発表された戦時下は、伊藤整の「鴎外の「渋江抽齋」」(初出『小説の問題』

大地書房 昭22・2)などを始め、石川のみならず多くの文学者が鴎外を論ずることで自らの文学を語った

時代であった。文字通り、鴎外を「場」として多くの個性が交響していたのである。この文学史的事実も、

時代の遠近法を立てた上で、きちんと吟味する必要があろう。単に、不易の文学的価値から個々の達成を論

ずれば済む、と言うわけにはゆかない。当時の言論界やメディアの状況も含めた広い視野から見直すことで、

他山の石とすべき事態が明らかにされるはずだ。
 ここに掲げたメモは、想定される議論の一端に過ぎない。東海支部には、幅広い専門領域の研究者が参加

しており、鴎外の研究状況に発信を続けた実績もある。石川淳研究会と共催で、東京の鴎外研究会からも発

表者を招いて行う今回のシンポジウムにおいて、『森鴎外』を手掛かりに刺激的な知的交流・知的横断がなさ
れることを期待したい。その達成は自ずから、支部発足以来積み重ねてきた共同シンポジウムの歩みに、意

義ある一ページを記録することになろう。司会者として微力を尽くす所存であるが、最後に、当日の議論の

活性化に向けて積極的なご協力をお願いして結びに代えさせていただく。(中京大学)

 

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