第9回石川淳研究会・印象記   若松伸哉

 

石川淳研究会の第9回研究会は、ウィリアム・タイラー氏(オハイオ州立大学東アジア課准教授)が石川淳の『荒魂』翻訳のため京都の国際日本文化研究センターに滞在していることもあり、「特集 石川淳『荒魂』をめぐって」と題し、同センターにて共同開催のかたちで3月8日・9日と2日にわたりシンポジウムを行った。

 

最初の発表は重松恵美氏による「『荒魂』位置付けの試み」から。タイトルが示すとおり、「荒魂」を石川淳作品史のなかでどのように位置付けるかを試みたものである。その過程で重松氏が問題としたのは、いくつかの評者の言を引用しながら、「白頭吟」にはじまる「荒魂」「至福千年」「狂風記」「六道遊行」「天門」などの戦後の石川淳後期長篇小説群をどのように捉えるかという問題であった。引用された対談資料には、石川の短篇を好む者と長篇を好む者でははっきり分かれるという言などがあり、改めて両者の隔たりの大きさを感じた。実際こうした問題は、石川淳の長篇小説に対する研究がほとんどなされていない現状とも関連するものであろう。

他には石川の長篇小説にある〈笑い〉の要素や、「荒魂」の二人の主人公(とされる)、佐太と阿久根秋作について、その他の石川作品の登場人物たちからの系譜―正統的なものに対して否定的に対峙するなど―にも氏は言及していたが、先行する評言の整理、そしてそこからの問題提起という側面が強かった。今後、氏によってこうした問題が深められていくことを期待したい。

 

鈴木貞美氏「石川淳『荒魂』を読む」」は、「荒魂」を、1960/70年代の「総合小説」(作家が自身のテーマを集大成)の一つとして捉える視点を提出した。それは、正体が「うまれたばかりのアカンボ」と表現される佐太に代表され、またガンの天才であるハンタ、直感にすぐれたトチにも看取される、「幼な子=神」といったシンボル性、または東西の神話・伝説の混合、現世的野望の絡み合い、時代の先端風俗の取り入れ、クーデター(革命)の問題などなど、「荒魂」に見られる数々の特徴を抽象化させ、これまでの石川淳作品との関連を指摘していく作業がよくあらわしていたように思う。

ここからまた氏は、たとえば「狂風記」と関連する「異常な生い立ち」というテーマ、「白描」と関連する「実業家」のテーマ、「焼跡のイエス」「処女懐胎」と連なる「キリスト教」のテーマなど、「荒魂」に対するテマティズム分析の可能性(有効性とも言えようか)についても項目を挙げ述べていた。さらに、「荒魂」の登場人物の多さから、演劇あるいは映画への意識についても触れていた。

「荒魂」分析のさまざまな可能性を与えられた発表だったが、私の印象に強く残ったのは、鈴木氏が60年代以降の石川作品(だと記憶しているが)について述べた、「からっぽ」であり「手法を楽しむ」という言葉であった。これは先の重松氏の発表資料のなかにあった「ばかばかしくておもしろくて」という「荒魂」に対する評言とひびきあっているように感じた。

 

ウィリアム・タイラー氏は「『荒魂』翻訳について」との題で、『荒魂』英訳作業の中間報告を行った。この報告はまずタイトル「荒魂」をどのように英訳するか、という問題からはじまった。氏は現段階では“The Bad Boy of the Gods”(「神々の暴れん坊」)と、タイトルを翻訳する予定とのことだったが、ここから「荒魂」とはいったい誰のことなのか、という問題を提起していた。単数なのか複数なのか、単数だとしたらそれは佐太なのか、あるいは複数だとしたら、秋作も含まれるのか、それとも登場人物すべてが「荒魂」なのか。日本語と英語の構造上の違いから直面せざるを得ない上記の問題提起は少なくとも私には新鮮であった。

また、石川淳の文章のトーン(独特な重構造や見立て、雅俗混淆文、語り手の位置など)をどう反映させるかという問題も具体的な例文を示しながら述べていた。こうした問題は石川淳独特の文章に顕著に見られるものであるが、もちろん程度や内容の差はあれ日本語文章の翻訳一般に発生するものでもあるだろう。会場には海外からの研究員・留学生の来聴者が多かったこともあり、必ずしも石川淳に関連したことではないが(たとえば海外での翻訳とノーベル文学賞の関係など)、大いに広がりを持った刺激的かつ活発な議論が交わされ、会場は盛り上がった。

 

2日目は、近年の石川淳研究の動向、そして石川淳と関係の深い安部公房について『運動体・安部公房』(2007・5、一葉社)を上梓された鳥羽耕史氏との、そのご著作を介しての意見交換をふまえ、主に戦後の石川淳についての議論が交わされた。特に鳥羽氏のご著書は、安部公房の作品を、彼の政治運動、日本共産党との関係、あるいは同時代との関係などから具体的に論じており、戦後の石川淳を考える上でも有益な補助線を得たように感じた。

 

今回のシンポジウムは、今年6月に国際日本文化研究センター主催で行われる、海外の研究者を招いての戦後石川淳作品に関する国際シンポジウムの準備会としての意味合いもあったため、総じて問題提起的な発表が多かった。そもそも戦後の石川淳作品(特に長篇小説)には研究上の考察が乏しいため、今回のシンポジウムが研究を活性化させる一つの端緒になればと思う。

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