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第12回研究会 案内

石川淳研究会印象記(前半)     井原あや

 

石川淳と同じく〈無頼派〉と称される太宰治。今回は太宰治生誕100年を期して、石川淳研究会と「太宰治スタディーズ」の会の共催研究会となった。発表は、「太宰治スタディーズの会・石川淳研究会 共催研究会のお知らせ」にあったように、いずれも「1930年代の「文学場」における両者のふるまいを論点」にしたものである。中でも前半「太宰治スタディーズ」の会の二氏は、文芸復興期と呼ばれ芥川賞の設立に沸いた昭和十年=1935年前後を中心とした発表であった。

 松本和也氏の発表は、「昭和十年前後の新進作家」であった石川淳と太宰治の作家表象/作品主題を、雑誌『作品』から検討したもの。氏は、「昭和十年前後の新進作家」が当時どのように語られていたのか、その背景や所属する同人雑誌、新進作家特集に光を当てた上で、『作品』に掲載された新進作家特集の新人たちに類似したモチーフを見出し、それぞれが重なり合う部分を持っていると指摘する。そうした実例として太宰治の「玩具」と石川淳の「貧窮問答」を挙げ、二作がメタフィクショナルな語りゆえに優れているのではなく、実は当時の新進作家たちが描いたモチーフに類似していることを示した。発表の軸が新進作家に通底するモチーフと明確に示されたため、質疑もこの点に集中したが、中でもモチーフの類似と編集サイドの意向については、さらに検討する必要があるように思う。メジャーではないが新進作家の文壇への扉であったという『作品』の編集サイドの、新進作家へのまなざしを見てみたいと思った。

小澤純氏の発表は、66もの資料と18通の書簡、さらには芥川龍之介関連リストをも提示した重厚な発表であった。発表の前半は、芥川賞創設前後の状況と芥川の死後に形成された〈芥川〉像について。後半は川端・深田久彌・葛西善蔵等の言説をもとに「狂言の神」のテクスト分析を主としたものである。氏は、1935年の「鎌倉縊死未遂事件」によって「芥川宗」の新進作家と認知された太宰が、第一回芥川賞落選時の川端康成との応酬を通過した後、「狂言の神」ではそうした〈芥川〉像を意識的に失調させていく一節があること、また川端の所謂「末期の眼」とは異なる〈死〉のパロディ等を指摘した。その結果、「狂言の神」は様々な形式を試みた一方で、形式に偏らず当時の言説状況をも拾い上げて作られたものであるとまとめた。石川淳についてもいま少し検討したものを聞いてみたくも思ったが、1935年前後に頻出する様々な〈芥川〉像――乱反射する〈芥川〉像は、氏の発表から確かに受け取ることが出来た。

 

 

石川淳研究会印象記(後半)     滝口明祥

 

 今回の研究会は、前半の発表は「太宰治スタディーズ」の会から、後半は石川淳研究会からということだったのだが、後半のお二方はそれぞれ太宰でも論文を執筆されていることもあり、どちらの発表もむしろかなり太宰の側に重点を置いた発表であったように思う。

 宮崎三世氏の発表は、現在の研究状況とは全く違う方向を目指されているらしく興味深く聞いたものの、発表者自身のスタンスがはっきりと定まっていないために聞く側としてもどのような姿勢で発表を聞けばいいのか戸惑わざるを得なかった。少なくとも、後のディスカッションで出たような「テクストの範囲はどこまでか」「読者の問題は考えなくていいのか」などという質問に対しては答えられる用意をしておくべきだろう。また、「葦手」に関しては、回想という形式をあまり意識させず、自分が語るというよりは他者に語らせる「私」の語りの特異さを分析するのはいいとして、それを「「私」の限界」などと捉えてしまっては、せっかくの分析が無駄になってしまうように感じた。発表者には今後、「道化の華」以外のさまざまな作品を論じていく中で、自身の手法を自覚的に練り直していくことを望みたい。そうすれば、現在の研究状況から突き抜けた地点へ行くことも或いは可能であるのかもしれない。  

 若松伸哉氏の発表は、ともに「富士」を作中に描いている「マルスの歌」と「富嶽百景」の二作品を、同時代状況を参照しながら比較したもの。「シェストフ的不安」「デカダンス」などが云々されていた昭和十年前後から、「再生」や「健康」がキーワードとなる昭和十年代へ。発表者はそうした時代状況の変化に、新しい小説手法の模索から「私小説」再評価へという小説評価軸の変化を重ねてみせる。そのような発表者の見取図はきわめて明快であり、太宰治という作家の軌跡はまことによくそれに合致することだろう。そして時局批判が明確に出されている「マルスの歌」とはまた違った形で、時局に寄り添っているかに見える「富嶽百景」にもそこからのズレ=逸脱が見出せることを積極的に評価したいというのが発表者の立場だろうが、質疑の際にも疑問が出されたように、実際の受容の様相がもう少し明らかにならないことには、現在からそれをどう評価するかというのは難しい問題であり続けるように思われる。

 

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