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石川淳研究会とは?

〈石川淳研究会〉第6回研究会開催のお知らせ

 ★坂口安吾研究会との共催

日時  2006年9月30日(土)午後1時30分より
 会場  中央大学多摩キャンパス(東京都八王子市)
    3号館1階54教室(3154教室)
        ◆会場へのアクセス

       http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/access/access_tama_j.html

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 開会の辞                       渡部 芳紀
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===特集 石川淳と坂口安吾===
《基調講演》
 安吾の世界と暗合する暗号              高山  宏
《研究発表》
 石川淳と坂口安吾―破壊する力、再生する力       重松 恵美
 戦後に届くことば―坂口安吾・石川淳・小林秀雄     大原 祐治
 「安吾の新日本地理」の成立過程             原    卓史
《自由討議》                    (司会)川村  湊
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 閉会の辞                         川村  湊
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*研究集会終了後、懇親会を開催いたします。(会場は当日お知らせします。)
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要旨
安吾の世界と暗合する暗号              高山  宏
 二十世紀世界文学を鳥瞰できるタイミングになってそうしてみると、一九二〇年代(ハイ・モダニズム)、一九五〇年代(ポスト・モダニズム)がまた改めて画期的に面白い時代であると思えてくる。今回は「パラドックスの文学」(R・L・コリー)がその時代に隆昌したことに注目して、漱石や熊楠の発する「諷語を」という方針に沿う「パラドクシア・ヤポニカ」の系譜を提案する中に、安吾を位置付け、その位置付けがグローバルな動きと絶妙に暗合しているいわれを説いてみたい。折角だから石川淳にも触れてみる。
石川淳と坂口安吾―破壊する力、再生する力      重松 恵美
 石川淳は、戦時下に反戦的な姿勢を貫いた作家といってよい。しかし、その反戦、あるいは反戦的ということの内実については、具体的に、様々な面から検討する必要があるだろう。
 例えば、戦争あるいは戦時体制を批判する石川が、一方で、戦争とは異なる形のある種の暴力を肯定していることは、注目すべき問題の一つかもしれない。それは、既成概念の破壊、秩序破壊の衝動ともいうべきものである。そしてそれは、革命的暴力を含むような社会制度の破壊だけを意味するのではない。倫理道徳など、人間の内面の秩序破壊を伴うところに特徴がある。
 では、石川の作品において、様々な破壊衝動はどのように描かれ語られているのか。
 本発表では、坂口安吾の作品を参照し、石川と坂口の共通項を探りながら、次の三点について考察を進めていきたい。
  第一点、石川「履霜」(一九三七年)、坂口「日本文化史観」(一九四二年)における宗教建築物の破壊について 
  第二点、石川「夷齋雑談」(一九四九年)、坂口「堕落論」(一九四六年)における天皇制廃止論について
  第三点、作中女性の性の解放、作中男性の獣的暴力など、壊す力であり造る力でもある、永久革命装置としての根源的生命力について
戦後に届くことば―坂口安吾・石川淳・小林秀雄    大原  祐治
 小林秀雄を補助線としつつ、坂口安吾と石川淳について考えてみようと思う。この三者の名を並べる必然は、「歴史」が文学/哲学/歴史学の領域を横断しながら議論された一九四〇年前後に、彼らがそれぞれの形で「歴史」に関わる文章を記していることにある。
 歴史小説「イノチガケ」(一九四〇年)を書いた坂口安吾は、「たゞの文学」、「文芸時評」(いずれも一九四二年)に独自の歴史小説観を記した。『森鴎外』(一九四一年)で鴎外の史伝について思考し、自ら歴史小説「渡辺崋山」(一九四一年)などを書いた石川淳もまた、「散文小史。一名、歴史小説はよせ。」(一九四二年)、「歴史小説について」(一九四四年)といった文章に、歴史小説に関する屈折を孕んだ思考を記した。「歴史について」(一九三九年)において有名な〈死児を想う母〉の比喩で歴史のテーゼを語り、その後、古典に沈潜しつつさらに「無常といふ事」(一九四二年)などで「歴史」について語った小林秀雄の言葉に照らすとき、安吾と石川淳の「歴史」観にはどのような特異性を読み取ることができるだろうか。

 さらに、戦時下に記したこれらの言葉が戦後になって彼ら自身のもとに届くとき―すなわち自らの言葉が「歴史」化されるとき、彼らは、そのことばにどのように向き合うのか。小林が、かつてのテクストに少なからぬ修正を加えつつ単行本『無常といふ事』(一九四六年)を刊行し一定の沈黙を保つとき、安吾は「教祖の文学」(一九四七年)で、小林は歴史古典の鑑定人であると断じ、「文学は生きることだよ。見ることではないのだ」と批判する。一方の石川は一九六〇年になってから、「戦中遺文」と題したエッセイで、戦中に記した自らの文章を吟味するが、その作業は「昨日の回想の中に、むしろ今日を見るためである」とされる。
 共軛性を持ちつつ対照的でもある坂口安吾と石川淳の思考について、以上のような観点から問題提起を試みたい。
「安吾の新日本地理」の成立過程                原     卓史
 坂口安吾「安吾の新日本地理」(『文藝春秋』一九五一年三月〜一二月)は、文献を読み、現地取材をし、土地々々の文化、町並み、風物、山河、歴史、言葉などを一貫した狙いを持たずに書いた作品である。従来、顧みられることの少なかった作品で、「安吾巷談」と「安吾史譚」の過渡的作品、もしくは歴史への挑戦といった捉え方が一般的であった。近年、綿密な研究が提示されるようになってきてはいるものの、年譜、典拠研究、成立過程の検討など、基礎的な作業に就いて考察の余地は残されているように思われる。
 そこで、本発表では、一九五一年当時の年譜の検討を行うことからはじめ、どのようなサイクルで文献を読み、現地取材をし、そして読んだものや見聞きしたものを纏めていったのか、「安吾の新日本地理」の成立過程について考察していく。重松恵美氏が「石川淳『夷齋俚言』論(五)―「革命とは何か」に見るアランの思想―」(『梅花日文論叢』二〇〇五年三月)の中で、石川淳の〈夷齋もの〉と安吾の〈安吾もの〉との比較検討をっており、この問題も射程に入れつつ考察してみたい。

 

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